最後の青年

この国では青年期の区分が15歳から34歳までとされている。(諸説あり)

私の年齢は今年で32歳だ。

青年として生きれるのはあと二年となる、

青年のあとは壮年に区分され、体力気力共に充実している年代らしい。

だとすれば青年期終盤の私は一体なんなのだろうか、

というより私の青年時代はどうであったのか、

世間的に全うな企業に属した訳でもなく、出世競争など皆無

夢を語る年ではなく、夢の序盤にも慣れてきている年代なのだろう。

そんな青年期終盤に掲げる私の夢は晴耕雨読そのものである。

誰かと結ばれることもなく、しがない写真業と道楽崩れの古本屋で貯蓄を食い潰して自分一人を自分一人で補う平穏かつ不穏な日常

それでいいと思っていたし、そうなるであろうと思っていた。

生理が来ないと言われたあの日まで

地下鉄

地下鉄はあまり好きではない。

中学生の頃、母親のお見舞いで白金高輪駅から新橋の国立ガンセンターに通ってた頃を思い出すからだ。

子供ながらに母は美しく、その母がお見舞いに行くたびに、やつれていく姿を見るのが中学生の私には随分と堪えた。

だが2001年の11月22日を最後にその経由で路線に乗ることもなくなった。

 

地下鉄は苦手だ、地下特有の鬱蒼とした雰囲気と閉鎖的な空間が陰鬱な気分に拍車がける。

だけど丸ノ内線に乗って四ツ谷駅を通過するとき、地下鉄が地上にでる瞬間がある

あの瞬間だけは得も言えぬ開放感を与えてくれる。

地下は地上の喜びを教えるため存在しているのだろうなと思わせてくれる。

父親失格

私はお話なんて書けない。

私は小説家ではないし、評論家でもない

ただの三十一歳である。

貴方の隣人かもしれないし、別の部署にいる同僚かもしれない

そんなありふれた三十一歳だ。

なので、この話は劇的でもなければ悲劇的でもないただの日常を書き綴ったものである。


そしてひとつ物語性をだすとすれば、どうやら私は父親になるらしい。